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小笠原 長房(おがさわら ながふさ、)は、戦国時代末期から江戸時代前期にかけての武将。北条氏に仕えた後に徳川氏に仕えて江戸幕府旗本となった。小笠原康広の子。母は北条氏康の娘。 == 生涯 == 天正2年(1574年)2月19日付の北条氏政判物によって、小笠原氏の家督が孫増に譲られたことが知られる。『寛政重修諸家譜』は、これを小笠原元続から嫡男・康広への家督継承として孫増=康広とするが、既に壮年で氏康の一字を得ている康広がこの名乗りをしたとは考えにくく、近年の研究者はこれを康広から長房への家督継承としている(『後北条氏家臣団人名辞典』など)。 小田原征伐の際には小田原城に籠城して氏直近習を率いて奮戦し、落城後は氏直に従って父とともに高野山に入った。氏直の死後、文禄元年(1592年)に京に於いて徳川家康に仕え、慶長元年(1596年)に多摩郡三田郷に350石を与えられ、関ヶ原の戦いの際には徳川秀忠の麾下で真田昌幸の上田城を攻撃した。 後に大坂の陣に参戦し、元和9年(1623年)に大番組頭となる。後に下総国香取郡に200石の加増を受けた。寛永20年(1643年)12月7日に致仕して家督を嫡男・長真に譲った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小笠原長房 (旗本)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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